僕を規定しないでくれ
今日、というよりも、もう昨日。
2017年5月10日、筆記試験に落ちた。
所謂超難関企業なので、一切気に病んでいない。
でもなんだろう、やっぱり筆記試験というものに違和感を感じる。
僕たちはいつも誰かに測られている。
学力、体力、経済力・・・
そして勝手に決められる。
「○○くん/さんて、こういう人なんだね」
そんな言葉に、僕は縛られてきた。
僕は、僕がわからない。
時々、すごく感情的で、時々、すごく理論的。
時々、すごく血気盛んで、時々、すごく温厚。
時々、すごく頭が冴えて、時々、すごくちゃらんぽらん。
なのに何故だろう、僕はどうやら既に測定が終わり、規定されているようだ。
数値化された人物像をつくりあげられているようだ。
それがたまらなく気持ち悪い。
そして、そこから逸れた時、人は、
「あれ、今日なんかいつもと違くない?」
と批判混じりの言葉を投げかけてくる。
そんなにみんなフラットなの?
そんなにみんな決まった人なの?
そんなにみんな変わらないの?
こんなにも浮ついていて、日によって違う自分は、間違っているのだろうか。
人は僕をどう見ているのだろう。
人は僕の何を測っているのだろう。
アンジェラ・アキがインタビューで
「いつか自分のライブを客席で見たい」
と語っていた。
今、すごくわかる。
いつか、自分と、他人として話してみたい。
僕はどう見えるのだろう。
そして、僕は、僕をどういう人間だと決めつけるのだろう。