僕はホモで、男で、人間だ。

22歳、人間の日々

僕を規定しないでくれ

今日、というよりも、もう昨日。

2017年5月10日、筆記試験に落ちた。

所謂超難関企業なので、一切気に病んでいない。

でもなんだろう、やっぱり筆記試験というものに違和感を感じる。

 

僕たちはいつも誰かに測られている。

学力、体力、経済力・・・

そして勝手に決められる。

「○○くん/さんて、こういう人なんだね」

そんな言葉に、僕は縛られてきた。

 

僕は、僕がわからない。

時々、すごく感情的で、時々、すごく理論的。

時々、すごく血気盛んで、時々、すごく温厚。

時々、すごく頭が冴えて、時々、すごくちゃらんぽらん。

 

なのに何故だろう、僕はどうやら既に測定が終わり、規定されているようだ。

数値化された人物像をつくりあげられているようだ。

 

それがたまらなく気持ち悪い。

そして、そこから逸れた時、人は、

「あれ、今日なんかいつもと違くない?」

と批判混じりの言葉を投げかけてくる。

 

そんなにみんなフラットなの?

そんなにみんな決まった人なの?

そんなにみんな変わらないの?

 

こんなにも浮ついていて、日によって違う自分は、間違っているのだろうか。

 

人は僕をどう見ているのだろう。

人は僕の何を測っているのだろう。

 

 

アンジェラ・アキがインタビューで

「いつか自分のライブを客席で見たい」

と語っていた。

 

今、すごくわかる。

いつか、自分と、他人として話してみたい。

僕はどう見えるのだろう。

そして、僕は、僕をどういう人間だと決めつけるのだろう。