僕の色
土曜日、朝8時。
薄切り8個入りのチョコパンをひとつ頬張って家を出た。
妙に暖かい空気とむせ返るような湿度が身体にまとわりつく。
平日に疲労を重ねた足を引きずって最寄り駅まで15分。
甲高い声を上げる改札を通り抜けて灰色のホームへ。
こんな時間でも電車は満員。
冷房も意味を成してなくて、人々の体温が車内の空気をつくり出してる。
この生暖かさは愛で出来てる。
みんな誰かに愛されて、ここまできて、誰かのために電車に乗ってる。
そう考えると不愉快な混雑も愛おしく思えた。
僕はこの雑踏の中でどんな色を放ってるのだろう。
最近、「仕事」について考えてる。
僕がやりたいことってなんだ?
僕ができることってなんだ?
僕は何のために生きてるんだ?
果てしない自問自答は宇宙の根源にまで辿り着きそうで、ちょうど良い所で辞めないと崩壊してしまう。
浅くも深い境地で見つけた答えは
「僕の色で世界を彩りたい」
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』なんて村上春樹の作品もあるけど、僕は色彩を持ってる。
どんな色?って聞かれたら困るけど。
それはとても鮮やかで薄汚れた青な気がするから。
でも、そう。
僕はこの自分の色で世界を彩りたい。
彩る
出典:デジタル大辞泉
[動ラ五(四)]
1 色をつける。彩色する。「壁を薄い緑に―・る」
2 化粧する。「ほお紅で―・る」
3 さまざまの色や物を取り合わせて飾る。「花で食卓を―・る」
4 おもしろみや趣などを付け加える。「数々の逸話で―・られた人物」
4番が近いかな。
このブログだってそうなんです。
まるで自分の鬱憤を吐露してるだけに見えても、でもこの駄文を読んでくれてるそこの貴方に何かプラスになることを発信したい。
「この世にはこんなにもがき苦しんでるやつもいるんだ(笑)」
「こいつのブログわけわかんね(笑)」
どんな感情でもいい。
でも、(笑)がついてくれたら嬉しい。どんなに小さくても。
東西線に揺られて僕は東京の港に向う。
不信や裏切りや自責に負けずに今日も大都会・東京で生活する。
僕がいるこの街、この国、この世界であなたも健やかにいてください。